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■沈黙の春
レイチェル・カーソン (著)

CO2削減に関するものではないが、環境啓発本の草分けとして、「ここは押さえとかないと」と考え沈黙の春をレポート。以前に読んだことがあったのだが、あらためて読んでみると違う視点が見えてきた。

まずは、書かれている内容が正しいのかどうか。本日では、DDTの人体的影響に対して否定的な見方も強い。環境に与える影響まで否定できる人はいないだろうけど。少なくとも鳥に対しては、直接的影響があったことが分かっている。現在、日本では農薬登録が失効している。

それから、この本が執筆された40数年後に私が読んでいるわけだけど、その年月で人間が何を変えてどの方向に行こうとしたのか、を考えたりする。もちろん、批判が多い部分もあろう。数値にしても、間違って解釈されているところもあるように思う。でも、批判するのは簡単だ。違う方向を示すことが出来るかがポイントとなる。正直なところ、方向性は何も変わってこなかったように思う。

人間が環境を制御する場合、考えなければいけないことがある。何が「駆逐する敵」なのか。この答えが明確にされることは少ない。天敵や食物連鎖が「元々予想していた状況とはかけ離れた悲惨な状況」をつくり出すことも少なくないからだ。

多くの生物が「農薬」「除草剤」「殺虫剤」によって死滅もしくは、激減した。これは確かにそうだろう。効き目がなくなり、大量発生するという「復習劇」が繰り広げられることもある。

結局、「どのような世界を自分が望むか」が重要なのではないかと、読みながら考えていた。欲望のままに突き進めばいいじゃないかと考えたのではない。物質的にも社会的にも劇的な変化の中に私たちはいる。ここに辿り着きたかったのかと言われれば「そうだよ」といってしまいそうだ。それくらい便利な世の中。

でも、ストレスを持て余して自分の人生を絶つ人間が増えているのも事実。私的な意見ではあるが、「生きたい」と自然に思える社会が良い。ひょっとしたら人間は、食物連鎖から切り離されたことによって、生物的には孤独になったのではないか。だから、自然を守りたくなったのではないか。そんなことを考えていた。